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第3話「ボーカロイドの集い・カラオケ大会」(3)

「よーし、いくらリンちゃんが相手でも負けないっスよ! 目指せ賞金1万円!」

講壇前で大げさにガッツポーズを決め、拳を強く握り締めるGUMI。

「え、そっち? 牛肉じゃないの? アタシも一万円欲しいけど」

そんなGUMIに対し、リンは少し冷ややかだ。

「そういえばさ、GUMI姉は一万円手に入れたら何に使うの?」

「決まってるじゃないっスか! 外でデザート日和っスよ! 普段は手が出ないようなものも、これがあればいけるんスよ! なんならリンちゃんも一緒にどうっスか? ボクが優勝した暁には一食くらいならご馳走するっスよ」

「いいね、そのときは二人で一緒に行こうね」

「リンちゃんはどう使うんスか?」

「とりあえず、近所に新しい喫茶店が出来たみたいだから、そこにそのお金の一部で誰か誘って一緒に行きたいな、と。なんならGUMI姉一緒に行く?」

「行く行く、行くっス!」

どちらからともなく握りこぶしを出して、付き合わす二人。ミクの言っていた「仲が良い」が絵になった瞬間だ。

「よーし、勝っても負けても恨みっこなしっスよ!」

先攻はリンに決まっていた。彼女は講壇へと上り、一方のGUMIは待機する。

そこへがくぽも講壇を上り、

「リン殿、何を歌いたいか、大体決めているでござるか?」

と、問いつつ、デンモクを手渡してきた。

「うん、皆でカラオケ行ったら必ず歌ってる曲なんだけど……」

最初に歌う曲は、リンの中で決まっていた。曲名で検索をかけて導き出す。

「講壇の真ん中に機械がある。そこへ向かって送信するとスタートでござる」

リンは言われるがまま、演壇の中央に設置された機械へと、歌いたい曲をセットする。

「歌詞がわからなければ、デンモクか、後ろのスクリーンに投影されるPVを見ると良いでござる。デンモクでの歌詞は、手に持ったままだと歌い辛いであろうから、真ん中の演台に置けばなんとか見られるはずでござる。少し見づらいかもしれんが」

「大丈夫。この曲は歌詞も頭に入り込んでるから見なくても歌えるし」

バックミュージックが流れ出し、なるほど確かに講壇に立てかけられた巨大なスクリーンからは音楽に併せたPVが出力される。

講壇の上で、PVを背中に選手が歌う光景は、さながらライブ光景のそれに近い。ライブというにはいささか安っぽくはあるが、それでも宴の席で扱うには十分過ぎた。

観客は、宴の席に座る数十名のボーカロイドたち。各々たちの談笑に耽っていた彼ら彼女らからは、一斉に拍手が巻き起こる。

ほろ苦い失恋を歌ったバンドソング。リンが好きでカラオケでも得意としている楽曲だ。幸先良くスタートを切る為には打ってつけの一曲。

演台に置かれたマイクを握る。

イントロが終わり、デンモクに表示される歌詞に、リンは目もくれずに歌を紡ぐ。

宴の席が渦を巻くような歓声に包まれた。

今更、歌詞に頼らずともリンは何度も何度もこの曲を歌ってきて、歌詞も完璧に頭に叩き込んでいる。

「リンーーー! 頑張れーーー!」

と、ルカの声援が舞台上へと届き、笑顔で受け応えるリン。

無意識に口が動き、歌詞を紡ぐ。

ほどなくして歌は終わり、リンが最後に一礼をして幕となる。

体育館が拍手喝采に包まれながら、演奏を終えたスクリーンが、歌唱の成績を集計する。

「いやぁ、さすがボーカロイドユーザーの一部にクリプトン最強ボーカロイドとも謳われるリン殿でござる。開幕を彩るに相応しい素晴らしい歌声だったでござるよ」

がくぽからの称賛の言葉を反映するかの如く、その結果は90点。スクリーンにデカデカと採点結果が表示された。

「くぅぅ、リンちゃんやるっス! プレッシャー半端ないっス!」

後攻として出番を待つGUMIの顔には目に見えて焦りが滲んでいた。

「でも、ボクも簡単に引導を渡すわけにはいかないっすよ!」

GUMIは踊るような足取りで舞台の上へと駆け上がり、演台の上に置かれたままのデンモクを手にとって手早く打ち込み始めた。

スクリーンにPVが投影され、またもやイントロに彩られる一帯。

そのBGMにギャラリーが大きく賑わった。

「っていうかGUMIー、それ、中の人の曲じゃーん」

とミクからツッコミが入るのを、

「姐さーん、そういうツッコミは野暮っスよー」

GUMIは受け流して、マイク片手に熱唱をスタート。

歌っているのはアニメの劇中歌として流れた楽曲であり、GUMIの声のベースとなった人物の看板曲とも言えるものだ。当然といえば当然ながら、ボーカロイドたちの間での認知度は高く、想いを共有できそうな者たちが大いに沸く。

会場の熱狂ぶりで言えば、先程のリンよりは上かもしれない。そんな状況に、リンはちょっぴり敗北感を抱く。

――GUMI姉、盛り上げ方が巧いなぁ。

「GUMIーー、ヒューヒュー!」

ふと、GUMIに向けられた声援にリンの意識が傾いた。舞台上から、その人物と目が合う。

Lilyだった。宴の席から、彼女は微笑んだが、リンは軽く一蹴した。

――アンタには、負けない!

煮沸されておきながら、時間経過によって少しは冷めかけていたリンの中での闘争心がくすぐられ、俄かに沸き出した。自然と、拳をつくる掌に力が入る。

やがてGUMIの熱唱は終わり、彼女もまた一礼をして締めくくりとされた。

機械が自動で採点をはじめる。熱気に包まれる会場に、緊張が走る。この結果で勝敗が決するのだから当然と言えば当然で。肝心の結果は、

「86点。リン殿もGUMIも素晴らしき歌唱でござったが、結果は少し、リンに軍配が上がったでござるな」

「うーん、残念っスけど、仕方ないっス。でもこうなったらリンちゃんに勝ち進んでもらわないと納得いかないっスよ! 残るカードも頑張って欲しいっス!」

健闘を称えるがくぽと、敗れながらも勝者を立てるGUMI。2人の兄妹に背中を押されて、リンの中で燻っていた、Lilyへの対抗意識がほんの少しだけ和らいだ。

「ありがとう、GUMI姉。アタシ、GUMI姉の分も頑張るから」

「けど、次に勝負する機会があったら、勝つのはボクっスよ!」

GUMIは右手の親指を立て、力強くサインを飛ばす。

2人握手して、お互いの健闘を認め合った。潔い対決の幕引きに、会場内から称賛の嵐が巻き起こる。会場のボルテージが高まっている中で、2人は壇の下へと降りた。

寝食を共にするミクやルカたちがリンの元へ駆け寄ってくる。その中にはレンの姿もある。

「とりあえず1回戦突破おめでとう」

「さすがリンね。私が勝負したら勝てるかどうかわからないわ」

ミク、ルカが各々の賛辞を告げる中、

「おめでとう、リン。オレも初戦頑張らないとな」

笑顔で出迎えるレンに、リンの胸が微かに高鳴った。

「レンはBブロックだっけ?」

「そうそう。リンとは1ブロック違い」

ミクの問いに軽々しく受け答えしているレン、2人の会話はリンには半分くらいしか聴こえていない。

『あなた、レンが好きでしょ?』

Lilyに突きつけられた、事実。

周りからレンとの関係でからかわれたことは一度や二度ではない。しかしその度に否定してきた。

レンは見た目も良いし博識だ。大体のことはレンに訊けば解決できる。

おまけに見た目の良さや取っつきやすさからか、街中を歩いていても年上のお姉さんぽい人に声を掛けられた事案は1度や2度ではない。異性にモテる部類だというのは、リンから見ても、火を見るより明らかだった。

『このまま自分に嘘をついて気持ちも伝えないまま、レンに寄りつこうとする女の子はことごとくハエみたいに追っ払うの? 言っておくけど、そんなのレンにとっては害悪にしかならないわよ』

克明に蘇るLilyからの詰りが、耳に痛い。

――そんなこと、わかってる。わかってるけど……。

間違っていないだけに、尚更腹が立つ。

いずれLilyに限らず、自分以外の誰かがその隣に立つことになるのは目に見えた。今のところは浮いた話こそなかったが、いつそれが現実になるかはわからない。半年先かもしれないし、もしかすると1週間先には誰かとお付き合いなんてことになっているのかもしれない。レンの恋人でもなんでもないリンの恋路を妨害するなど、レンには害にしかならないことも理解はしていた。

やりきれない想いがこみあげて、リンは、

「ごめん、ちょっと席外すね」

とだけ告げて、会場を出る。「え、ちょっと、リン」と、呼び止める声がかかるのも無視して。

廊下へと出て、ずんずん歩く。

校舎の中へと足を踏み入れて、階段を駆け上がる。一段飛ばしで急ぎ足。微かに息を切らしながら屋上への階段を昇り切る。本来、学校舎の屋上は安全の為、入口の扉が施錠され封鎖されている処が多かったが、ここに至っては解放されていた。

扉を開けて、追い立てられるようにリンは外へと飛び出した。

肩を揺らし、うなだれて一息ついて、空を仰ぐ。

雲に覆われて陰ったような気持ちのリンとは対照的に、空は澄んでいた。

屋上には、観光気分で立ち入る人物を意識したものだろうか、隅っこに1つの丸いテーブルが置かれ、テーブルを囲うかたちで4つのイスが並べられている。そこにさらにパラソルが立て掛けられて日除けの役割も担っているというオマケつき。パラソルは最近になって掛けられたものだろうか、陽射しによる色褪せはなく真新しさがあった。

リンはイスへと腰かけ、片肘をついた。

今はとにかく一人になりたくなった。

Lilyの言葉が脳裏に焼き付いて心を離さない。清々しく一回戦を突破したはずだったが、気持ちは酷くどんよりとしていた。

1週間以上前にミクが言っていたことを思い出す。

『まあそりゃ、レンだって生き物ですからなぁ。悩みもすれば恋だってしますぜ』

レンの様子が少しおかしかった時期のことだった。無論リンも彼の異変に気が付いて心配していた。なにしろ話しかけてもどこか虚ろで声に生気が足りないばかりか、食事も細くなっていたのだ。

ただそれが恋の悩みの可能性とは考えていなかった。レンに好きな人がいたら、なんて考えもしなかった。いや、考えようとしなかっただけなのかもしれない。

「こんなことばっかりやってたら、レンになんて好かれるわけないよねぇ……」

自嘲の想いでリンは肩を落として大きく嘆息する。付き合っているわけでもないのに恋人気取りでLilyを払いのけ、悪ふざけでからかい倒して遊んで。

「良い気、しないよね」

もしもレンに好きな人がいて、それが最近の不調の原因だったとして、その相手が自分以外だったとして。それを素直に享受できるのだろうか。

空は、蒼く澄んでいた。





気がつけば、そこにいた。真っ白な、何もないところで、彼女は立っていた。

『リン』は彼女と向き合っていた。長い髪を持ち、同じ服を纏って、だけどリンより背の高い女性。

リンは『彼女』をよく知っている。しかし本来こうして、このような形で出会うことはなかった存在だ。

「Lilyってさ、口は悪いけど言ってることは的確なんだよね」

口火を切ったのは『彼女』のほうだ。

「まあ、口が悪いのはLilyもアタシたちもお互い様なんだけど」

と、付け足して。

「夢かなんだか知らないけど『自分』と会話する機会が出てくるなんてね」

有り得ない2人の『自分』同士の会話。これは夢、幻。

リンは苦笑いして左手をヒラヒラと振った。

「アンタはアタシ。アタシはアンタ。違うのは、アタシのほうがちょっぴり素直で大人しいくらいかな?」

「自分で言われたら世話ないね。でも、当たってる。その恰好になったほうが、なんだろう、自分に忠実な気がするんだよね」

「ね、もう言っちゃわない?」

『彼女』は目を伏せ、告げる。

「レンのこと、好きだって。言っちゃおうよ、ね?」

Lilyのような挑発的な意図も何もない、諭すような優しい口調で彼女は告げる。

「ダメだよ、それは……」

しかしリンはその誘いに首を横に振る。

「どうして? もしもLilyと対決して負けたら、告げ口されちゃうんだよ?」

「Lilyには負けない。絶対に勝つって決めてるから」

「でも、その保証がどこにあるっていうの? わかってるでしょ、Lilyはメチャクチャ巧いよ、半端なく。本気になったミク姉を相手にするようなもんだよ。とても、マスターの調整なしで敵う相手じゃない」

「それは、そうだけど……」

「Lilyに告げ口でバラされちゃうなんて、最悪のパターンでしょ。だったら、こっちから動いたほうがまだマシよ」

成長した姿の自分自身が突きつける提案は、確かに同意したくなるものだった。それでも、リンにはまだためらいが残っていた。

「レンにどう思われるかが、怖い。振られること考えたら、怖い」

「えっ?」

返す言葉もなくリンは口ごもる。

売り言葉に買い言葉で乗ったLilyとの勝負だって、勝てる自信がないのもまたリンの本音だ。おまけに、勝てばそれで良かったが、負けたらレンに告げ口するときている。

――負けたくない。負けられない。

どうして? レンに知られるのが、怖い? 振られるのが、怖い?

Lilyには負けたくない?

どちらも正しいけど、そうじゃない気がして、リンは首を横に振った。

「自分に正直になろうよ、例えうまくいかなくたって、レンは酷いこと言うような奴じゃないよ」

――自分に、正直に?

『もう一人の』リンの言葉が『リン』の頭を駆け巡って、視界が弾けた。





彼女の姿を探しまわって、はや20分ばかりが経過しようとしている。

諦めに似た焦燥が、レンの脳裏に迸る。トイレの手前、鍵の開いた教室、体育館の周辺……居そうな処は大体探しまわった。

残る場所は、屋上。

最初は単にトイレにでも行ったものだと思っていた。しかし『昼休み』にもなって、姿を現さないのは異常だ。かれこれ2時間ばかり、席を外していることになる。

「ちっくしょう、リンの奴、なにを考えてるんだ」

悪態づいて、屋上への階段を駆け上がり、乱暴に扉を開く。視界を覆い尽くさんばかりの強烈な日差しがレンを遮った。

「リン!!」

クリアになっていく視界のなかに、彼女は、いた。

「リ……」

呼び掛けようとして、レンは息を呑む。

――違う。

リンというには、背が高く、髪も長かった。しかしレンは彼女のことを知っている。

レンに背を向けて、両手を水平に仰いで、まるで拝むかのように、天を見ていた。

かける言葉も見当たらず、レンは茫然とその背を見やるだけだ。彼女はただ無言のままじっとしている。

しばし時が止まったかのような沈黙の時間が続く。

先に沈黙を破ったのは、レンだった。吸い込まれるように、彼女の背に向かって、足が向かう。

カツカツ、と無機質にコンクリートを踏む音が、静寂の中に吸い込まれる。

「レン……?」

あと10歩も近付けば手が届きそうな距離にまで到達したところで、ようやく彼女は振り向いた。

「久しぶり、だね」

「ああ、うん……」

彼女の挙動に、レンは微かな違和感を抱いた。

今までに会ったときと比べるとどこかぎこちない。今までならレンを捉えて離さなかった視線が、明らかに逸れている。

会いたかった相手ではあったものの、異なる彼女の様子に気をとられて、素直にそれを喜べなかった。

「良い天気だね」

彼女の目は、レンを見てはいなかった。少し伏し目がちに、コンクリートの床に向けられている。

彼女を前にすると緊張してしまうレンだったが、それでもその所作がおかしいことに気がつかないほどの鈍感ではない。

「元気、なさそうだね」

「ああ、うん。ちょっといろいろ考えごとをしててね」

彼女は回れ右をしてすたすたと屋上の隅っこにまで歩を進めていく。

「あの、リンを見てない? 2時間ほど前からいなくて、探してるんだけど」

少し様子のおかしな彼女のことも気がかりだが、それ以上に、今のレンには席を外したまま、いまだ戻ってこないリンのほうが気がかりだった。彼女なら所在をつかんでいるかと思い問いかける。

しかし、当の目先の人物は背を向けたまま、

「見てないよ。でも、ちゃんとお昼が過ぎれば戻ってくるんじゃないかな」

と、素っ気なく告げるだけだった。

「どうして、そんなことがわかるんだ?」

「どうして、でしょうね?」

背中越しでは、彼女の表情はわからない。だから、レンは傍に寄って確かめようとした。

「別に、ほっとけばいいじゃない。いたずらに疲れるだけじゃないの」

「ほっとけないよ。だってアイツ、確かに落ち着きのなくて目を離せばどこかに行ってる奴だけど、ここまで長い時間ほっつき歩くなんてこと、普段やらないからな。そういうときって、大抵なにか考え込んでるときなんだよ」

二人、屋上の手すりに両腕をもたれかけさせて並ぶ。

「ふーん。じゃあ、レン。一つだけ訊いていい?」

彼女はレンのほうを振り向かず、じっと前を見据えたまま。

その問いかけに、レンは「なにを?」とだけ。

「レンは、リンのことってどう思ってるの?」

虚を突かれたような質問に、一瞬だけ逡巡したレンだったが、答えるまでにそう時間はかけなかった。

「アイツは、頭悪いし馬鹿だしワガママで勝手な奴だけど……」

「誰が頭悪いし馬鹿だしワガママで勝手な奴だって?」

「え!?」

「あ、ううん、なんでもないなんでもない」

一瞬、恫喝的な声で彼女が怒ったのは気のせいか否か。しかしそれも刹那の間で、レンにはよくわからない。よくわからないまま、レンは続けた。

「でも、根は良い奴だし、退屈しないしつるんでて楽しいし、それなりに世話焼いてくれるから……嫌いじゃないんだ。いや、アイツにはなんだかんだで助けられることもあるし、でも、アイツ不器用だからさ。そういうの表に出さないというか……言っても茶化されそうでさ」

それは紛れもない事実であり。軽口や悪口で喧嘩も絶えないけれど、それでも、根っからいがみ合っているわけではなかった。以前に恋患いしたときだって、心配してピコに連絡をよこしたのはリンだったというのだから。

「そっか。レン、なんだかんだで、ちゃんと見てくれてたんだね……」

隣に立った彼女の言葉は、少し震えていて嬉しそうだ。あまりの感嘆ぶりに、レンのほうまで当惑の色を隠しきれなくなる。

「ありがとう、レン。アタシ、今ホントにレンと同じ鏡音コンビで良かったって思った」

「えっ? それってどうい……」

レンの言葉は全てその口から紡ぎ出されることはなかった。その全てを告げる前に、唇を塞がれていたのだ。

刹那の出来事、レンは何が起こっているのか理解しかねた。頭の中がこそげ落ちたかのように、真っ白になる。

「こういうのって、好きな人にしなくちゃダメだったからね」

肩にかけられた、彼女の手が離れて、

「騙してごめんね、レン。実はアタシ……ううん、なんでもない」

そそくさと背を向けて、その場を走り去っていく。

小さくなっていく背中にレンが何か言う間もなく、彼女は長い髪を揺らしながら校舎の中へと入り、階段を駆け下りていく。

あまりに不意打ちな出来事に思考が追いつかず、レンは床に足を縛りつけられたかのように立ち尽くしたまま見送ることしかできない。

夢や幻ではない。唇に残る、温かな感触は残滓のように今も続いている。それどころか、身体全体が仄かに熱を帯びて、まるで宙に浮いているかのような感覚がある。

『だったら、間接じゃなくて、直接キス、してみる?』

深夜に差し掛かろうとする頃の収録前に会ったとき、彼女が言った。

『冗談だって。さすがにそういうのは、好きな人としないとダメだもんね』

胸が高鳴る。あの人にとって『好きな人』とは、己のことなのかと。

彼女の方から、強引な形にはなってしまったが。

不意をついてかかった唇への感触。確かに交わした口付けの感触は、今なお強く。




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TM box及びSoundCloudで細々とカバーもどきな作品創らせてもらってます。アイコンはNaiさんにお願いして書き下ろしていただきました。

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